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足利名産の銘仙とは?銘仙の歴史や特徴・着用シーンを解説

皆さんは、銘仙(めいせん)という着物をご存知でしょうか?
銘仙は江戸時代から昭和のはじめにかけ、長きに渡って庶民の間で親しまれ続けてきたカジュアル着物です。
最近では、再びアンティーク着物の人気が高まり、銘仙も注目を集めています。

足利市にお住まいの皆さんならきっと一度は聞いたことがあると思いますが、
銘仙ってどんな着物なのか、振袖として着用できるのか気になりますよね。
今回は足利の名産である銘仙の歴史や特徴・着用シーンなどをあらためて解説していきます!

銘仙とは

一般的な着物に使われる織物は、
紡いだ糸で縦糸と横糸を一定の法則で交錯させて平面をつくる織り方になります。
ところが、銘仙は縦糸と横糸をわざとずらすことで、
境目がぼやけた風合いの柄が特徴的な織物になります。
この織り方を「絣(かすり)手法」といい、
それまでの織り方では見られない優しい色合いや柄が幅広い年齢層に支持されました。

銘仙は、元々絹の生産が盛んな足利をはじめ、桐生や伊勢崎、秩父、八王子が銘仙5大産地だといわれています。
また、銘仙の着物は各産地で織り方が異なり、
それぞれ独自の特徴が生かされた素晴らしい着物として評価されています。

 

銘仙の歴史

銘仙の歴史は古く、江戸時代の中期に養蚕(ようさん)農家の織子が正常に織ることができない
屑(くず)糸を利用し自分用に織った織物がはじまりだとされています。
この織物は、横糸に太い屑糸を用いたことで、
厚地で軽く着心地が良いばかりか安価で手に入ると庶民の間で人気となり広まったということです。

銘仙という名前の由来は諸説ありますが、
太い糸を用いて織られた織物であることから「太織り」として広まったため
「太」は「肥える」をイメージするとして女性の衣料には不向きであること、
そして縦糸が多いことで縫い目が千に見え、「目千」が「銘仙」になったともいわれています。

いつの時代も、女性に「太る」はタブーだとわかるエピソードですね。
また大正時代には、並べた縦糸を横糸で粗く仮織りして、
柄を型染めした後、横糸を抜き去り本織にする「解し織(ほぐしおり)」という手法が生み出されました。
銘仙がもっとも浸透したのが明治から大正時代にかけてだといわれていますが、
この解し織手法ができてからは、まだ女性の普段着が着物だった大正から昭和にかけて最盛期を迎えています。

しかし、終戦後には女性の普段着もウール製のものに変わったことや、
洋装が定着したことで銘仙を着用する人も減りましたが、
1990年代後半頃にはアンティーク着物が話題となり再び銘仙が注目されるようになったのです。
特に、解し織はそれまでの銘仙より絢爛で複雑な表現が可能となり、
大胆な模様や色使いが流行し、現在では栃木県の伝統工芸品に指定されています。

 

 

足利銘仙の特徴

銘仙の歴史にあるように、銘仙には「解し織」という手法があります。
銘仙が流行した江戸時代後半から明治時代の織物の柄は縞柄(しまがら)がほとんどでしたが、
解し織ができたことで柄のレパートリーが広がり、
西洋芸術のアールデコやキュビズムなど、まるで抽象画を思わせる大胆なデザインの柄を実現させています。

中でも足利は昔から養蚕が盛んだったため大正の頃には織物の産地として頭角を現し、
昭和に入ると有名画家がデザインする斬新でモダンな図柄を取り入れ、足利本銘仙を仕立て上げることに成功。
その足利本銘仙で仕立てた着物が庶民の間に広がり、生産高日本一を誇る大ブームとなりました。

その後、足利銘仙は日本橋三越などの一流百貨店で取り扱われることになり、
銘仙黄金期を築きあげたといわれています。
足利銘仙の人気の秘訣は、何といっても柄のデザインであり、
図案や染め職人をわざわざ京から呼び寄せたりもしていたようです。
また、宣伝にも力を入れ、
一流画家の起用や大物女優のポスターでアピールしたことが足利銘仙の人気に拍車をかけたといわれています。
そんな素晴らしい銘仙が足利の名産なんて嬉しいですよね。

 

 

足利銘仙の着用シーン

銘仙は大胆で斬新なデザインの柄だといわれていますが、どんなシーンで着用できるのでしょうか。
着物というと礼装というイメージがあると思いますが、銘仙は基本、普段着使いになります。
そのため、振袖として着用することほとんどありません。

しかし、最近ではアンティーク着物が注目されていることから、
銘仙をカジュアルにかわいく着用する女性も増えているのだとか。
また、モダンな振袖を着る際に銘仙織物でつくられた半襟やバッグなどの小物を組み合わせるのも粋でおしゃれです。
あなたもお気に入り銘仙小物を振袖に合わせてみませんか?